新・青空レモン ~詩平線の彼方へ~

詩を書き綴ります(旧はてなダイアリー終了にて再始動)

祖母とカメラ


高校時代の修学旅行
 
祖母がテレビの通信販売で
110カメラ(ワンテンカメラ)
を買ってくれた
(ネットで調べたら、Vivitar 110に外観・機能が酷似)
 
最初は親のカメラを貸してもらうつもりで
思いがけないプレゼント
 
カメラのおまけに
更に小さいカメラがついてきた
 
トイカメラ中のトイカメラ
今思うと
  
全盲だった祖母は
旧知の来訪者には
昔の写真を見せる
のが好きだった
 
そして
いつも祖母が通っていた
天理教のお神楽を
珍しい記録になるから撮影してくれと
僕に頼むので録画しに行ったら
逆に自分が珍しがられた
 
父も撮影好きで
親戚らが集まると
電灯を消して
8ミリフィルム動画の上映会
僕ら子供たちは喜んだ
 
祖母の火葬場で
僕はずっと
父の8ミリビデオで
骨になった祖母を
撮影していた
 
祖母が可愛がってた
ひ孫は
霊感があるらしく
火葬場で
「ばばちゃんが、よくきたね」
と言っていたと
その子の母が
僕に伝えてくれた
 
2歳くらいになるまでは
見える子もいるから
否定しないで聞いてあげてと
僕は伝えた
(さしたる根拠はないが)
 
そこに
見えない何かが見えるその子と
見えないけれど撮影し続ける自分が
いた
 
自分にとって 
カメラは
上手いとか下手とかは
どうでもよくて
 
何を見てきたのか
何を見ようとしてきたのか
何を残そうとしてきたのか
 
例えシャッターボタンを押した瞬間に
それが変わってしまったとしても
 
押さずにはいられない
衝動で
 
世界を見たい自分の
象徴で
 
決して
見えない何か
 
決して
写せない何か
 
決して
保存できない何か
 

この瞬間の